風だのみと、共闘の原点
先に、FBに、市民の会からの応援があったと書き込みました。
市民の会の応援だけでなく、宣伝中に、他党の議員からの激励や、新聞記者からのインタビューもあり、共産党への期待を感じます。はっきり言って、風が吹いています。
しかし、この風は、政局の混乱によるところが多いと思います。もちろん、共産党が、政局の混乱とは一線画して、ぶれないから、市民と野党との約束を守るから、原則を貫いているからこそなのですが、党が主体的に頑張り切って、自ら風を起こしたとは、まだまだ、言えないと思います。
特に、「民進党が解体して共産党への評価が上がり、良かった、すっきりした。」と、左うちわでは、そのうち、有権者から見放されるでしょう。また、「ぶれない共産党だけが真の野党だ」式では、驕りが嫌われるでしょう。
選挙の目標は二つ決まっています。共産党の飛躍と、市民と野党との共闘の候補を押し上げる、です。目標は、共産党の躍進一つだけではありません。他党でも統一候補は、本気で押し上げるのが目標です。
そして、「市民と野党との共闘」の原点は、政治的立場、思想・信条の違いを越えて、安保法制を廃止して、立憲主義・民主主義を取り戻す、です。だから、共産党は、改憲論者の方たちとも共闘してきたのです。
今回、民進党から、その原点を忘れて、希望の党に行った人がいます。
一方、共産党の一部に、「もともと、ああいう人たちとは組みたくなかった。離れて行ってくれて、すっきりした」という人もいます。しかし、良く考えてください。安倍政治によって、立憲主義、民主主義が、壊されてしまいました。だから、これを取りもどそうと、政治的立場、思想・信条の違いを越えて、共闘してきたんです。だから、「すっきりした。良かった」式では、ブルータスお前もか、「共闘する気は、もともとあったのか」と、聞きたくなります。また、「共闘は嫌だったが、大義のために我慢していた」式は、「本気だったの」、「リスペクトはどこに」と言いたくなります。こういう私は偉そうですか?
だから、私は演説する時は、希望の党への批判とともに、希望の党に行った人に対して、「今からでも、原点に戻って、共闘の和に加われ」と呼びかけています。こういう私は甘いですか?